自己啓発

人生の行きつく先は良い子ちゃんになること

こんばんは、のっぽです

先日ブログで書いた、「自分に起こることに対しての反応を自分で選択することが大事」だという話についてさらに掘り下げていきます。

例えば仕事でミスをして上司に怒られた場合、自分の情けなさに落ち込むのではなく、逆に上司に怒りを覚えるのでもなく、上司に迷惑をかけないよう、二度と同じミスはしないと誓う、というのが選ぶべき反応の選択だと書きました。

例えばこれが接客の仕事の場合、お客さんに理不尽なことで怒鳴られたとしたら「怒鳴られて、訳が分からなくて、悲しくて怖った・・・・」でもなく、「こちらは何も悪くない、勝手に怒鳴ってきたお客が悪い!」という反応でもなく、「何を言われようがお客様第一、真摯に受け止めて、顧客満足に努めよう」です。

接客業をやる上ではこういう意識の持ち主になるのが一番最善なわけです。お客側からしてもこういうサービス精神のしっかりした店員だと信頼出来るし、嬉しいですよね。会社側から見ても、こういう人材を欲しがると思いますし、理想の従業員の形かと思います。

でも、我々の心は大抵荒んでいるので、その選択が自分にとっても周りにとっても良いものだと知りつつも選ぶことが出来ません。何か、負けた気になるんですよね、何ででしょう。

会社が嫌いで、仕事も大嫌いだから、会社にとって良い従業員になるってのが癪に障るのかもしれません。(本当に荒んでいる)

だから、余計に反発して良い子ちゃんになる選択を素直に選べないわけですが、これは単なる悪あがきでしかないんですよね。

なぜなら、仕事が嫌いだろうが社会が嫌いだろうが関係なく、人が最終的に行きつく先は良い子ちゃんだからです。

それを手っ取り早く認識する方法は簡単です。自分は三日後、もしくは近いうちに死ぬのだと、意識してみることです。

すると、急に周りへの感謝の気持ちでいっぱいになり、悩んでたことや嫌なことで頭がいっぱいなっていたはずが、どうでも良くなります。普段面倒くさがってやらなかったことや、お手伝いや相手の助けになることを率先して行うようになります。

この状態になると、怒りや悲しみが、いかに無益なものであるか分かると思います。

自分自身の人としての成長や、社会貢献、というのものが人類に共通した、行きつく先にある目的だということです。

そのことに気付いてしまうと、最終的にはそうなっていくのに自分は本当に悪あがきしかしてないなーと思うわけです。
なので最近は「諦めろ、どんなに気が乗らなくても、腹が立っても、最終的に行き付く先は良い子ちゃんだ」と言い聞かせています。

まあそんな簡単にいきませんけど!

ではでは、本日はここまで、またよろしゅうに!