プロフィール

HN:のっぽ
大阪在中の某アパレル店で働く30代フリーターだったけどフリーランスに転身して息を吹き返す。

人付き合いが苦手でそれを克服する為に飛び込んだ超接客業で多大なストレス抱えることになり余計に人が苦手になってしまった小動物並みに警戒心が強い弱小元フリーターです。

 

趣味はイラストを描くことと、お裁縫、小さなドール服や小物を作るのが大好きです。

好きな動物はウサギ・ハジビロコウ・カピバラ・ウーパールーパー。

ジャンル問わず好きなものは唐草模様のがま口・キノコ・マトリョーシカ・万華鏡・ミニチュア雑貨。

好きな漫画は鬼滅の刃・鬼灯の冷徹。

好きなゲームはPSの「MOON」や「UFO」等ラブデリック系。ghmの「シルバー事件」「FSR」、
最近では「UNDERTALE」に心を奪われました。

 

休みの日は朝からジョギング行くくらい元気だけど仕事の日は朝から絶賛死亡中・・・・

だったけど今は毎朝走ってます。

 

以前は職場の人にしょっちゅう心配されていました。
毎度掛けれらる言葉は「今日も眠そう」「ていうかいつも眠そう」「顔色悪いで!?」「生きてる?」「シャキッとしなさい!」
無理です、根本的に無理です。

先日久々に元職場に顔を出したら、めちゃめちゃ顔色や雰囲気が明るくなってると驚かれました。
どんだけ死んだ顔してたんでしょうね。

 

HNの由来

HNの「のっぽ」という名は高校時代の友人につけて頂いたものです。

 

文化祭で友人と組んで何をやろうか?と考えた時に、
私がマジカルバルーンという細長い風船を膨らませて動物等を作る方法を知っていた為、
提案した所それが出し物に決まりました。

 

その作り方を友人にレクチャーしている内に「のっぽさん」というあだ名がついて、そう呼ばれるようになりました。NHK教育番組の「できるかな」の、のっぽさんが由来です。

 

身長のことではありません、身長は150cmほどです。

 

家にお金の面で迷惑を掛けないように進学せずに働いた

高校卒業してからは大学等には進学せずに、働く道を選びました。
単純に受験というものを二度と味わいたくない、という気持ちもありましたが、でも出来ることなら専門学校、という考えもありましたが・・・

 

私には兄が二人いて、二人とも大学・専門学校へと進みました。
長男が大学に入るまでに二浪して予備校に通ったり大学に入れたけど留年したりと色々あって、

その時に「家にはお金がないんだ」ということを知り「自分はお金のことで両親に迷惑を掛けてはいけない」と、心に決めたことを覚えております。

 

その決意もあり、進学は諦めて仕事に身を投じる道を選びました。

 

昔からイラストを描くのが好きだったので、それ関係の専門学校に行けたらなぁ、
という淡い気持ちを持ったままで。

 

お金が溜まったら自分で学費を出して専門学校に行く、という道もあるな!と考え、
すぐに辞めることの出来るフリーターの方が都合が良いと思いました。

 

(自分は本当に世間知らずの芋娘の中の芋だったので、正社員というのは一生そこで働くようなものであり、辞められないものだと思っておりました。いや、辞め辛いのは確かかもしれませんが)

 

フリーターとして平凡に過ごす

高校卒業後は早朝5時出勤のコンビニのサンドイッチ等を製造する流れ作業の工場や、ゲームショップの店員、スーパーマーケット勤務、縫製関係の工房、様々な仕事を体験してきました。

 

早朝出勤してた頃は自転車で出勤中に、周りが暗いせいで道を塞ぐように掛かっていたチェーンに引っかかって大き目の怪我したり、半分眠りながら自転車をこいでたので土手から落っこちそうになったり・・・・・。

 

ゲームショップにいた時は迷いインコが店に入って来て、
会計中の私の肩に止まって来たり(癒された)。

1人で店番してた時にお店の上のマンションに強盗入ったり。

または二人組でやってきた万引き犯にまんまと騙されてPS2本体盗まれたり。

小さい子供が親の気付かない間に店の外に出て、
車がバンバン走る道路の直前で躓いて轢かれそうになる寸前に救ったり。

出勤途中にツバメの雛が巣から落ちて泣いてるのに気付き、救ったり。
(ちっちゃくて可愛かった・・・・)

 

その頃、母が急に立ち上がれなくなり病院で診査を受けることになりました。
診断の結果、腰の辺りに握りこぶしほどの腫瘍が出来ていました。

 

母がガンになり、心配と不安で精神的に追い詰められる日々

それが何の病気であるのか、腫瘍の一部を採取する為の手術をしました。
腫瘍なのだから取ってしまえば良い、と思われるかもしれませんが、母の場合腫瘍が大き過ぎる為に取ってしまうのは逆に危険な状態だったのです。

 

仕事に行く直前に入院中の母の所にいた父からの電話で、「白血病」の一種のだと聞かされ、頭が真っ白になりました。

 

何とか仕事には行けたのですが、職場に着くまでの記憶がないくらい、本当にショックを受けました。

 

病気に関する知識がなかった為、
「白血病」と聞くともう治らない病気なのではないかと思い、
私は母を亡くすのかもしれない、と思い、
言葉では表現出来ないくらいに、とても、とても辛かったです。

 

こんなことになるなら、もっと親孝行すれば良かった、と後悔しました。
失ってから気付いても、何もかもが遅いのだと。

 

その後正式な病名が分かり、「悪性リンパ腫」という血液のがんだということが判明したので、早速治療することになったのですが、
うちの母はかなり破天荒な性格であった為、医師の言うことはもちろん、
家族の言うこともまったく聞こうとせずに、治療を嫌がり
「辛い治療をするぐらいならこのまま死んだほうがマシ」
「病院の屋上から飛び降りて死んでやる」とわめき、周りを困らせました。

 

母が入院中は私が家事の一切を引き受け、
バイトに行きながら頑張っていたのですが、母がそんな状態であった為、
いつも不安な気持ちでいっぱいでした。

加えて慣れない家事とバイトの両立とで、いつも疲労困憊で倒れるように眠っていました。

 

母のことも心配で仕方なくて、心も追い詰められていたので毎日毎日涙を流しなら眠りつく、という日々が続きました。

 

何とか母を説得して治療が始まりました。

思ってた以上に治療が効いてどんどん腫瘍は小さくなっていき、約2カ月ほどで退院出来るまでに回復しました。

しかしまだ完全に腫瘍が消えたわけではなく、また再発の危険もあると医師から言われていたのですが、奇跡的にも腫瘍は大きくなることはなく、

10年以上過ぎた今、母は相変わらず「早く死にたい」と言いながらものびのびと生きております。天邪鬼な性格なので、「生きたい」と、言うことなのだと思います。

体力仕事でマッチョになる

母も無事退院し、ゲームショップの退屈さや賃金の安さが不満になり退職し、次はスーパーマーケットで働き始めました。
10㎏あるお米や2ℓペットボトルの飲料水の詰まった段ボール箱等を運んで補充をする等品出しをしていました。ここの仕事は自分にあっていたようで6年ほど勤務しました。

 

重い物を持つことが多かったので、ちょっと・・・いや、かなりマッチョになりました。

入社した頃は冬だったので気付かなったのですが夏になって腕を出すようになった時に自分の筋肉に気付いて「たくまし!!??(たくましい)」と、思わず声に出るくらいマッチョになってました。

 

久々に会う友人からは「小マッチョ」と呼ばれました。

 

ゲームセンターにある握力計測装置を試してみたら46㎏とか出ました。
(※女性の平均は28㎏ほど₎

 

スーパーの仕事もなかなかにハードで、早朝に運ばれてくる荷物をそれぞれの売場に配置していくのですが、最初はどこに何があるのか分からない為、店内を走り回ることになります。開店時間までに出さないといけないのでとにかく時間との勝負です。早朝に荷物を適切な場所に下して、あとから出勤される主婦パートさん方が品出ししやすいようにしておりました。

 

1人だけで作業してたので自分との闘いでもありました。あまりのキツさに泣きながら走り回ってました。(誰もいなかったので遠慮なく泣いてた)
長く続いていた職場だったのですが別の会社に吸収され、お店が閉店することになり、仕方なく退職しました。

 

ミシンとアイロンとグローバルな職場

次は服飾関係の工房に就職しました。お裁縫が好きなこともあり、実際の製作の現場はどんなものであるか興味があり飛び込んでみました。

 

色々なブランドの洋服を作っている所で、常にミシンの音が鳴り響いていました。ミシンと言っても工業用のミシンなので、家庭用とはまったく別物です。馬力が強くてスピードも段違いに早いです。勢いがあるので自分の指ごと縫ってしまうという事故も起こるようです。工業用ミシンに触れると、家庭用のミシンはオモチャにしか感じなくなります・・・・。

 

そんなミシン作業を一手に引き受けていたのが中国から出稼ぎに来ていた女性の方々でした。10代前半か、とにかく若い内から仕込まれて仕事をしていたそうで、べらぼうにミシンの扱いが上手かったです。プロフェッショナルでした。そんな彼女達に私に趣味程度の縫製が叶うはずもなく、ミシンを使わせてもらえることは少なかったです。

 

やっていた作業はミシンで縫い合わせる際に補助になるような仕込み作業でした。
のびる生地には伸び止めを貼ったり、アイロンで折りあとをつけたり、また、縫いあがった生地の縫い代をアイロンで抑える等々・・・・・。
指先の器用さが求められる作業が多かったので、不器用な人は大体クビになっていきました。その辺りは結構厳しくジャッジされてましたね。
私なんとか合格点をもらえたようで、それなりに楽しく続けていました。

 

アイロンでの仕込みや、出来上がった洋服のタグ付け・梱包・発送作業もやりました。

 

日本人より中国人が多い職場だったので、国民性の違いも面白かったですし、職場自体も彼女達に合わせてか何だかゆるかったです。中国の方々はお菓子ばりばり食べながらミシン動かしてたり、音楽を大音量で流して歌いながら作業してたり(笑)。

あと、くしゃみ!くしゃみです。向こうの方々は日本人女性のように、くしゃみするとき手で抑えたり等はまったくしません。豪快に明快にくしゃみをします!くしゃみは外に出す!と言わんばかりに盛大にくしゃみします。

 

そんな彼女達はとてもたくましく見えました。生まれたばかりの赤ん坊や、幼い子供を故郷に残して出稼ぎに来ている方が多かったです。中国からしたら日本に出稼ぎに来れる、というのは大変に名誉なことで、村をあげてのお祭り騒ぎになるそうです。

 

日本で3年働いたら家を建てれらるくらいに稼げるんだとかで、出稼ぎに行きたい人はたくさんいたようです。向こうは国土がとんでもなく広いので、土地代は無料なんだとか。家が建つほどなので、出稼ぎにこれたらかなり裕福になれるんでしょうね。

 

あと、中国では家事をやるのは夫で、奥さんが働きに出る、という話も聞きました。日本とは真逆で驚きました。ただ中国といえどだだっ広いので、地域によって違うかもしれませんが・・・・。国によっては本当に違うんだなー、と思いました。

 

日本でも育メンという男性主婦さんがいますが、中国の方が聞いたら笑われてしまうかもしれませんね。

 

彼女達は休憩時間になると、国際電話で家族と連絡をとっておしゃべりしてました。
パソコンも持ってて、テレビ電話で連絡をとっていたりと、私よりもパソコンを使いこなしてて、凄かったです。

 

 

そんなにぎやかな職場でしたが、徐々に景気が悪くなっていき、中国人よりも賃金の高い日本人から解雇されていきました。
私も一足先に会社を辞めて、新しい勤め先を探し始めました。

 

精神的にも肉体的に負担が大きく、常に疲労していた

新しい勤め先はアパレル関係の接客業で、某大手企業です。

面接で受かって喜んでいたのですが、友人から「ブラック企業やで?」と聞かされ「マジか」と、震えました。実際入ってみると、忙しい時には長時間労働を課される肉体的にも精神的にもかなりハードな職場で、今までやってきた仕事の中で正直一番キツイと感じております。

 

まだ辞めずに4年続いてることが自分ながらに不思議で仕方ない。

 

もし辞めるにしても次の仕事の目途が立たない限りは生活費の面で不安もあり無理だし、そもそも年齢的に再就職がしにくくなっている現状もあり、なかなか転職に踏み出せずいます。

 

しかし、キツイ、フラフラである。

 

気付いたら身体は思うように動かなくってて、気力も失われ、好きなことに対する興味もなくなり、全てに対する反応が薄くなった自分の姿がありました。

そんな風に廃れていく自分が嫌で、どうにか抗おうと、趣味のイラストやハンドメイドなど、細々と続けていました。

友人からの依頼でドール服を作ったり、イラストを描いたりしていました。

上手く作れたり、ええ感じに描けたりすると、友人が喜んでくれて、褒めてくれるのが嬉しくて、そのおかげで何とか自尊心を保てていたと思います。

断捨離を決意。心の奥底にあったのは、苦しくてつらい人生をどうにか変えたいという願い

 

ちょうど同じ時期に断捨離を決意。きっかけは大きな出費があったことで、減った分の金額をどうにか元に戻さなければ・・・・という、単純な思いからでした。

そこで気になったのが、自分のいらない私物を全てお金に変えたら、全部でいくらになるのだろう?ということです。

それは今まで自分が生きてきた30年以上の月日で、溜めこんできた物を一斉に取捨選択していく大規模な断捨離に発展したのです。

 

モノがなくなるごとに寂しさもありましたが、同時に心や体が軽くなっていくのを感じました。

自分がコレクションしてたモノとか、好きだから置いていたモノとか、いつか使うだろうと仕舞っていたモノ、使わないけど捨てるのは勿体ないという理由でただ所有していただけのモノ・・・・

自分が必要だと思っていたモノ、大事だと思い込んでいたモノは、実は自分に絡まるツタのようなものであることに気付いたのです。

すると、自然に「もっとモノを減らしたい」と思うようになりました。

それは仕事も何もかもから解放されて自由になりたいという心の奥底からくる願望だったのです

断捨離は私にとってストレス解消の手段になっていました。

行きたくもない仕事、やりたくもない接客業や、ご機嫌取り、作り笑顔、しんどい人間関係・・・・
毎日精神を蝕まれる私にとって、モノを減らすということはストレス解消に持ってこいでした。

仕事からは解放されないけど、せめてモノから解放されて、少しでも気持ちが軽くなりたいと。

30代でちょうど人生の折り返し地点。断捨離して環境を変えることでこれから先の人生、何か変わるのではないかと、そんな期待の入り混じった気持ちもあったのです。

 

好きなことをして自由に生きていきたい、という決意

そんな時にふと思ったのは、生きてくのに必要な生活費の為に働いているのに、その実自分は死んだように生きている状態だなぁ、と。

 

この先も老人になるまでずーーーーっと働いて死んだ目をしていかないといけないのかと
将来はお先真っ暗であることに気付いて、絶望していました。

 

私は結婚とは無縁な人生を送ってきたので、この先も一人で生きていこうと考えております。

誰かに頼るなんて人生は嫌なので、ちゃんと自分の面倒は自分でみたいのです、となると働かないといけません。

おまんま食べないと生きていけません。

でも、現状でかなり身体が辛い状態で、いつになったら解放されるのかな?と考えてみたのですが、

 

このまま仕事を続けた所で、ボロボロになりつつ定年退職してようやく年金暮らしで自由に・・・・とは、いかないのが現状です。

そんな年を取って、頭も身体も思う様に動かなくなってから自由になったところで、何の意味があるのでしょう?

 

確実に後悔します、もっと若いうちに好きなことをしておけば良かったと。お金がどうとかで仕事を優先するのではなく、本当に大事にすべきだったのは、人生の貴重な時間であったのだと。

それに、今の日本の少子高齢化社会を見れば、一目瞭然、満足に年金が貰えない所か、65歳を越えて、70歳を過ぎてもずっと働かないと食べてはいけないでしょう。

定年退職したらあとは働かずに暮らせる、それはもう過ぎた昔の話、近いうちに幻想になるでしょう。

 

自分の将来の姿を想像して、絶望する中で、
「折角生まれてきたのに、自由にもなれない。こんな人生は間違っている!」そう思い、他に生きていける道がないのか、と強く思いました。

 

そんな時、Twitterで誰かがリツイートしたツイートが目に止まりました。

 

『雇われずに生きていく、という考え方・・・・?自分の力でお金を稼ぐ方法・・・・?』

 

雇われず、自分の力で月収20万や、月収50万、または月収100万というお金を稼いで、
金銭的自由、精神的自由、時間的自由を手に入れ、自分の人生を自分らしく、人間らしく生きている人達の存在を知ったのです。

 

「今のままでは気力も体力も人生の時間のほとんどまでも会社に搾取され、ただの生きる屍になっていくだけだ。どうせ死んでいくのなら、試せることをやってからでも遅くない」と、

自由な人生を取り戻す為の決意をしました。

 

その方法は「ネットビジネスで起業する」という、今の時代だからこそ可能になった、全ての人に希望と自由を与える可能性に満ちた生き方です。

今、手探りで勉強中でまだまだ知識も浅く、日々分からないことだらけで、毎回脳内がゲシュタルト崩壊を起こしてます。

 

ですが、「自分の人生を変える」という固い決意の元、頑張っております。

 

私のように30歳もとうに過ぎて、20代の頃のような情熱も元気もないけれど、でも変えられるなら自分の人生を変えたい、ネットビジネスで自分の力でお金を稼いで自由になりたい、というあなたに向けて

私が学んだことや起業に関して重要な知識や考え方、腑に落ちたことを共有して、「人生を変える」という一大プロジェクトの助けになれれば幸いです。

 

長めのプロフィールでしたが、ここまでお読みいただきまして、誠にありがとうございます!

 

始めて知ることばかりで頭を悩ませる毎日ですが、まずは慣れていって初心者から脱する、ということが大きな一歩になると思いますので、頑張っていきましょう。

 

 

 

断捨離でいくら稼いだのか?実績を大公開!不用品はこれだけお金に変わる

私は断捨離だけで総額40万以上のお金を稼ぎました。
お金に変えたのは、元私物・不用品です。

断捨離を始めたのが2016年10月からなのですが、振込明細が一年しか履歴が残りません。

始めた頃の明細はもう確認できなくなっているので、一部になりますが、実際に振り込まれた金額が確認できます。

 

 

 

 

 

 

 

コンスタントに収入があることが確認いただけると思います。

もちろん、全て不用品を売って稼いだ金額です。

 

11月で一旦断捨離が落ち着いた為、明細はここまでです。

 

そしてまた部屋にモノが増えてきたので断捨離しました!

 

なかなかの金額になってくれました*

このように不用品はお金に変えることができます。

あなたも断捨離で、部屋がキレイになってお小遣いを稼いでみませんか?

追記※あれからさらに断捨離をして、総売り上げ合計は60万を越えました!!!

 

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【初心者さんや主婦さんにピッタリ!】不用品がお金に変わる?安心安全な自己完結型な副業?断捨離で40万稼いだレポート

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ではでは、本日はこの辺で、是非またよろしゅうに~*